【思春期 と 病気を受け入れる ということ】

先週、卒業式。いろいろあった3年間。

本人はしかり、母である私にとっても、苦しい前半を過ごしたような。

生まれた時のどうしようもない事実を受け入れるまでも、親の無力さを感じたけれど、あの時は、それでも私の手の中にいた。

けれど、今回は、、、違う。
荒れた前半は、まあいろいろあった(笑)
彼の名誉のために?!、荒れ具合は伏せておく。(笑)

「僕のこと、運がいい、とみんな言うけれど、運がいいなら、生まれた時に病気ではない体で生まれてきたかった。」

そんなことを言ったこともあったし、それに対して、うまく応えてあげられなかった私、であったように思う。

運動することが大好きなタイプだし、運動できる状態になったこと自体、何よりもありがたいことなのだけど、
それが逆に、本人をより苦しめる材料になっていたことも否めない。

ほんとの意味で、本人の中で病気を受け入れる、という壁にぶち当たった時期でもあったし、
もちろんこれだけが問題だったのではなく、思春期の他のイライラにも混ざってよく分からなくなっていた部分もあったけれど、親子関係は崩壊していたんだろうな。間違いなく(笑)

自分で消化するしかないのだろうと、とにかく待つしかなかった。
彼の中で自分で立つまでただただ、私の忍耐テストのごとく

待つ日々。

育児書に書いてる、「待つ」って、そんな簡単にあっちもこっちもよく書けるよな、と思うくらいぶっちゃけこちらも壊れそうだった。というか、壊れていたかも(笑)

その間、定期検診の外来をスルーして、予約をし直したこともあった。
薬の服用も微妙な時期もあった。

しかし、
まるで眠りから覚めたかのように部屋から出てきて、学校に行き始めた。

家族ではどうにもならないことも、周囲の友達、先生のおかげでなんとかここまでこぎつけた形。
うそのような時間かと思うくらい、3年生の1年間は、誰よりも楽しく学校に行っていた。

ほんとに感謝の卒業式。それ以外の言葉がない。

そして、祝う会の帰り、我が子たちが通って、5年間お世話になった中学校の玄関から見る夕焼けが、きれいだった…
これも見納め。

祝い会が楽しかったのも、保育園から、小学校から、中学校から、のママ友達がいてくれたからだろうと思う。
ひたすら、御礼、御礼、続き。
Instagramのストーリーで卒業を挙げたら、たくさんメッセージを頂いて
息子がよき友達と先生に恵まれたから、今があると思っていたが

今の私があるのは、苦しかった時期に声をかけてくれた貴重な友人たちが私にもいたからだ。
苦しかった時期に、ただただカフェで私の話に付き合ってくれた友人がいたからだ。
そんな時期に、ただただウォーキングで気晴らしに付き合ってくれた長女がいたからだ。
そして、誰よりも苦しんでいたであろう旦那にも、ただただ感謝しかない。

おまけ。卒業式の朝、家族撮影ができたのがこの3年間のあとの、私へのご褒美だった。

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